発想力は磨かなければ伸びないもの
仕事などをしていると、時々それまでの概念がひっくり返るようなすごい発想や意見を言う人を見かけたりします。
不思議なものでそうした優れた発想というのは多くの人からまんべんなく出されてくるものではなく、出す人はいくらでも出せる、出せない人はまったく出せないといった偏りがあったりもするものです。
これは発想ができる人というのは普段から柔軟な頭の使い方をしているからで、一度そうした発想ができる思考法を身に着けると以後まったく別の案件を担当することになってもそこからまた新しい発想を生み出すことができます。
逆に仕事をしていて自分からはまったく意見を言い出すようなことはしないのに、他の人が出してくる発想を次々と批判し何かと悪い部分だけを指摘しあげ連ねるタイプの人もいたりします。
こうした人は自分では他人の意見を批判できる自分は発想力のある人間だという勘違いをよくしているものですが、既にそこにあるものの悪いところを見つけるというのは実は能力的にはまったく難しいところはなく、そうしようと思えば誰でも簡単にできてしまう単純な発想です。
本当の意味での発想力というのはすでにそこに「ある」ものに気付くことではなく、本来あるべきものがそこに「ない」ことに気づくことができるかどうかです。
否定的な思考方法をしているうちは新しいものは生み出せない
クリエイティブ系の仕事で活躍をしている人と話していると、非常に話題が豊富であることに気が付きます。
例えばWebデザインをしている人であれば、その人の興味はWebやコンピューター関係のことばかりなんだろうと思ってしまいますが、優秀なデザイナーであるほどハイキングやスポーツが趣味であったり、他業種の人と多くのかかわりを持っていたりします。
ともするとそうした仕事と直接かかわりのない趣味や人脈は仕事にかかわりがないのだから興味を持つだけ無駄のように思ってしまうところですが、そんな無駄をどれだけ持っているかということこそが本人の発想力の広さを支えています。
よく「発想に行き詰まったら普段と違うことをしなさい」という風に言われたりもします。
これは人の発想力というのは過去の経験や蓄積した知識の範囲でしか出すことができないからであり、発想に行き詰まったと感じたときこそ普段しないようなことをしてみたり、読まない本、見ない映画などを積極的に見て発想の幅を広げる必要があります。